<地元コラム>横浜市少年洋上セミナーのその後nipponn06

ふと気になった。

「洋上セミナーって、その後どうなっているのだろう?」

正式名称は、横浜市少年洋上セミナー。
1982年、当時横浜市長だった細郷道一氏が発足した毎年夏の横浜市恒例イベントだ。
抽選で選ばれた横浜市内の中学1年生、550人程がにっぽん丸や、ふじ丸といった巨大船で北海道への向かう研修クルージングトレーニング。
親元を離れての5日間、横浜大桟橋から北海道までの航海で、規則正しい集団生活から、レク、ロープワーク、天体観測、海洋実習など行う。目的地の北海道では同世代少年らとの交流もする。当時の細郷市長は、横浜の未来を担う青少年活動にとても力を入れていた。

私も学校に貼ってあったポスターを見て応募。
中学1年生という多感な時期に、他校と仲間と大海原の中で過ごした日々は、とてつもなく強烈な想い出となった。巨大船に乗ること、長い間家族を離れて旅すること、水平線に囲まれること、信じらない程きれいな星空を観ることも。人と大自然とのふれあい。底抜けに楽しそうなリーダー達への憧れ。それはあまりにも濃く、楽しく、充実した日々であり、下船の解散時には別れを惜しんで全員が大泣きした。それからは横浜に住んでいること、横浜が心から好きになった。

今振り返ると、人生の大切な選択や岐路で、この洋上セミナーの経験が関わっている。つまり、その後の人生にも多大なる影響を与えてくれた、感謝してもしきれないイベントであった。

いつか自分に子供ができたら絶対に参加させたいと思っていた。今の思春期の子供たちにとって、机上であれこれ学ぶよりも、本当に必要なのは、こうしたリアルな実体験なんだと強く思う。
 
しかし・・・ネットで洋上セミナーを調べても情報がない!?

横浜市少年洋上セミナーで検索しても、1件もでてこない。なぜだ?

そこで横浜市議事録を紐解く。

議事録には、2001年に開催された第22回目までは実施活動の記載がある。その後の2002年以降洋上セミナーに関する情報が一切でてこない。調べていくうちに、この2002年に洋上セミナーが廃止されたことが判明。好評だったはずの横浜恒例のイベントがどうして廃止になった?

2002年、横浜市にとって歴史的な出来事があった。

細郷市長の意志を継ぎ、12年に渡り市長を務めた高秀秀信さんが市長選挙に破れた年。そして新市長として中田宏さんが就任した年だ。この市長選は実にドラマティックだった。現職の高秀さんvs新人、中田宏さんという対決になったのだが、元々、中田宏さんは高秀さんの元にいた学生。当時の中田氏はお金がなく、高秀一家に世話になり、ご飯やお風呂までいただいていたという。
その恩師、高秀氏を批判し、恩をあだで返す反逆の市長選だった。市民は若くて新しい改革してくれそうな中田氏に投票し当選。中田宏横浜市長が誕生した。
そして市長選に敗れたわずか数か月後に高秀さんが病死。高秀夫人による「夫は中田市長に殺された」という記事が週刊現代に掲載された。

就任直後から徹底的な削減政策を行っていたので、洋上セミナーも廃止された模様。
中田宏新市長が掲げていた無駄な項目の1つとなったのだろう。残念過ぎるあれこれの廃止だが、これは市の財政状況を考えてのやむなき判断だったのかもしれない。当時各区役所の目立つ場所にあった市長への直送封書「市長への手紙」までもが廃止された。市民からの声はいらん、ということか。

ハマっ子の未来への投資、洋上セミナーまで廃止したのに。結局、中田宏市長はY150(横浜開港記念博)の失敗で28億という莫大な赤字を作り、責任説明までも拒否して任期途中でトンズラ辞任してしまった。その28億円の赤字は、最終的に横浜市税で補てんされた。

これで洋上セミナーがあと何百回開催できた?
そんなこと考えると悲しいばかり。

かつての細郷市長、高秀市長は、横浜の未来を担う青少年の活動支援にとても力をいれていた。団結式の朝、細郷市長がスピーチの後、にこにこしながら僕らを見送ってくれた。横浜に住んでいて良かった、横浜が好きだと心から思った。当時よく使われていた横浜の地元愛あふれる「ハマっ子」なんて言葉も削減され、もはや死語になった気がする。
横浜市少年洋上セミナーは、今はネットにさえも情報がない。あの横浜の大イベントが、まるで”幻”だったかのよう。とうに大人になった我々団員らの心の中にだけ、強く残っている。
天国の細郷さん、高秀さん、素晴らしい贈り物をありがとう。

<KAMEブログより転記>



豆知識


横浜開港150周年を記念して2009年に「Y150」横浜開国博が開催された。

横浜の威信をかけたこの一大イベントは中田宏「肝煎り」で情実任用された野田由美子(副市長)らによって推進され、有料入場者数500万人と計画された。しかし杜撰な計画が当初から指摘されており開幕早々不振となる。もはや失敗が明白な情勢となると中田宏は責任追及を恐れて任期半ばに市長職を辞職。そのまま不振が続き、結果として有料入場者は計画の25%にも満たない悲惨な有様となってしまった。この失態と巨額赤字をかかえたまま次々に外郭団体の横浜開港150周年協会の杜撰な仕事が明るみになった。旅行代理店各社らは「イベント内容は当初計画案とかけ離れており、横浜開港150周年協会は契約義務を果たしていない」として提訴。また横浜開港150周年協会は運営を委託した博報堂JVに対して、今更になって概算契約金の減額を求めて調停申し立てするなど、この問題は泥沼の訴訟を6つも抱える事態となった。この事態を収拾できないとみるや野田由美子も早々に辞職。横浜市議会・決算特別委員会は「担当者がいないのでは審査の障害になる」「責任を全うしなかった理由も分からない」として中田宏と野田由美子を参考人招致する事態となったが後の祭りである。このように横浜市は中田宏とその周辺人物の無知・無能・無責任のために多大な損失を被る事となった。


集客数では、同時期に開催されたお台場の実物大ガンダム一体に負けた。

【Y150】絶句・・・・こんなものに多額の税金を使ったのか