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    ラーメン二郎新橋店に行ってきました。
    新橋店といえど、場所は新橋駅から10分程度歩きます。
    虎ノ門駅や内幸町駅からも同じ位でしょうか。
    愛宕神社、慈恵医大のすぐそばです。

    それより行ってみて驚いたのが、 場所がなんと!
    第2のラーメン二郎ともいわれた肉蕎麦屋、 港屋の道路を挟んだ反対側!

    ジャンルは違えど、モロライバル。

    港屋をご存知ない方のための参考写真↓港屋の記事と肉蕎麦。
    大盛りの蕎麦を甘辛ラー油と生卵でわしわしと食すニュータイプ蕎麦です。↓ 港屋が二郎に近い、と書かれた記事 港屋の肉そば

     新ジャンル日本蕎麦といわれる港屋、 ラーメンにあらずといわれる二郎。

    種は違えど同レベルの満足感を約束してくれる二店が並ぶとは、
     おもしろいエリアになりました。
    ちなみに徒歩10分圏内には、 二郎のインスパイアが5件もあります。
     都内でももっともインスパイアが密集しているエリアです。

     ・らーめんバリ男
     http://r.tabelog.com/tokyo/A1308/A130802/13112970/
     ・ラーメン虎ノ門店(元、二郎) http://gourmet.livedoor.com/restaurant/7700/
    ・ラーメン新橋店(元、二郎) http://r.tabelog.com/tokyo/A1301/A130103/13007940/ ・らうめんさぶ郎 http://r.tabelog.com/tokyo/A1301/A130103/13014016/
    ・ビッグラーメン虎ノ門店 http://r.tabelog.com/tokyo/A1308/A130802/13015268/

    新橋3丁目にあるラーメン屋”泪橋”も二郎インスパイアか。

    ここに本家のラーメン二郎ができたので、
    もう新橋・虎ノ門は、ジロリアンエリアと化してきました。
     さてお店の方ですが、キレイです。
     写真ではわかりにくいかもしれませんが、 看板がなんとメッシュです、おしゃれです。

    待ちは7-8人。

     P1000611.jpg

    港屋の方をちらりとみると、あちらも15人程度ですが、
    立ち食い蕎麦である港屋の方が圧倒的に進む速度がはやい。
     港屋の行列↓ いつの間にか真っ黒だった外壁が白くなってました。 P1000610.jpg

    それでも20分後には着席。 座席数が14席。
    店内は二郎他店に比べたら広いです。
    製麺エリアも確保されていました。
    当たりまえですが、お店もコップもキレイ。
     値段は、ラーメンが700円。小豚が800円と、やや高め。
    汁なしや味噌などの変化球はなし。
    麺は平ざるで湯切りされて、丼に盛られます。
    そしてでてきたのがこちら。

     ラーメン、コールは、”ヤサイニンニク” ヤサイは、
    モヤシの割合が非常に多く、豚は2枚。
    スープは、かなり白い乳化スープです。 麺はつるつる。
    P1000608.jpg P1000609.jpg
     
    あくまで個人的な印象ですが、
    二郎系としては二郎品川店やバリ男に近いかと。
    神保町、川崎、中山の各店のような、舌がびりびりくる強烈さはなく、
     カネシもグルエースも押さえ気味で、 二郎初心者にも食べやすいかと思います。

    ラーメン二郎新橋店
    〒105-0003 東京都港区西新橋2-33-4
     営業時間 11:00-15:00/17:00-21:30 定休日 日曜日

    なぜ急行が3駅連続して止まる!?tamaplaza01
    田園都市線の鷺沼駅、たまプラーザ駅、あざみ野駅!

    ローカルネタでスミマセン。
    話せば、長い話ですが、簡潔に。

    もともと急行は、車両庫のある鷺沼には停車していました。

    駅前には東急のデパートもあり、それなりの駅でした。
    当初からホームも広く、4線分確保されています。

    やがて、田園都市線と横浜市営地下鉄の接続計画が浮上します。

    そこで、田園都市線のどの駅と接続するか?
    乗り入れ駅の計画段階で、激しい議論がありました。

    鷺沼駅は「川崎市」になるので、市営地下鉄は入りません。
    「たまプラーザ駅」を推進する東急側と、
    「あざみ野駅」を推進する横浜市側で意見が真っ向対立しました。

    たまプラーザ駅は、東急が最も力を入れている駅でした。
    この変な駅名だって、当時の東急社長五島昇氏が直々に命名したもの。

    駅の周りは、地下鉄を迎えるすべての条件が揃っていました。
    当時としてはエリア随一の巨大さを誇った東急百貨店があり、
    高級住宅街の「美しが丘」の玄関口であり、
    当時大ヒットした不倫ドラマ「金曜日の妻たち」の舞台でもあり、
    日清どん兵衛のCM、川谷拓三さんの名セリフ「たまプラザ」でも知られ、
    新しい駅ながらも、洗練された印象と知名度がありました。

    なによりも、駅の裏には広大な敷地が残っていましたから、
    駅でもなんでも作り放題だったのです。


    一方当時のあざみ野駅は、
    現在の江田・市ヶ尾・藤が丘・田奈と同列の実にしょぼい駅(失礼)でした。

    駅前には、まんが日本昔ばなしにでてきそうな、
    竹やぶに囲まれたわらぶき屋根の家があります。(今でもあります)

    買い物ができるのは東急ストアだけ。
    駅の裏側にある建設予定地は住宅地が広がり、住民がいました。
    そこに地下鉄を通すには、立ち退いてもらわないといけません。

    条件的にはたまプラーザ駅が絶対有利。
    地元住民も、「地下鉄はたまプラーザにくるものだ」と信じて疑いませんでした。

    しかし。

    横浜市営地下鉄の接続駅として決まったのは、「あざみ野駅」でした。

    これに関しては、みなとみらいの乗り入れ権を条件に譲ったとか
    たまプラーザにすると川崎市をちょこっと通ってしまうからとか
    市側の利権が絡んでいるとか、様々な噂がありますが
    結局のところ理由がわかりません。


    そして工事も完了し、ついに市営地下鉄あざみ野駅が開通します。

    当然、地下鉄の接続駅ですから下車する人も大量に増えました。
    しょぼかった駅は、とたんに多くの人で溢れました。

    ところが、ここから東急の仕返し(?)が始まります。
    どんなに多くの乗客が降りようとも、
    東急は決してあざみ野駅に急行を止めませんでした。
    お前なんか認めん!といわんばかり。

    すべての急行は、あざみ野駅を通過しました。

    あまりの不便さに苦情がでたのでしょう。
    それでも急行停車駅になったのは、それからなんと8年間もたってからでした。

    結果、急行が3駅連続して停車することになったのです。

    駅に歴史あり。

    今の巨大なたまプラーザ駅をみると、
    やはりこっちの方がよかったのでは・・・??
    と思わざるを得ません。

    GNUGPLライセンスとは

    ググってもよくわかりません。
    WikiPediaによると以下のとおりでした。

    「GNU General Public License」の略。
     コピーライトの反意語、コピーレフトと呼ばれる、
     ソフトウエアの著作権の代表的なもの。


    ???


    まだ全然わかりません。

    要は、どのように使ってよいのかが知りたいのです。
    なんとか読み解くと、以下のことが許諾されているそうです。

    1.プログラムの実行すること、OK
    2.プログラムのソースコードを変えること、OK
    3.複製したものを不特定多数に配布すること、OK
    4.プログラムを改良して公表すること、OK
    ⇒でもその場合はソースコードを隠さないこと

    商用もOKだそうです。

    GNUGPLライセンスと検索してもでてこないので、
    GPU、もしくはGPLで検索した方が、細かいい記載がでてきます。

    <地元コラム>横浜市少年洋上セミナーのその後nipponn06

    ふと気になった。

    「洋上セミナーって、その後どうなっているのだろう?」

    正式名称は、横浜市少年洋上セミナー。
    1982年、当時横浜市長だった細郷道一氏が発足した毎年夏の横浜市恒例イベントだ。
    抽選で選ばれた横浜市内の中学1年生、550人程がにっぽん丸や、ふじ丸といった巨大船で北海道への向かう研修クルージングトレーニング。
    親元を離れての5日間、横浜大桟橋から北海道までの航海で、規則正しい集団生活から、レク、ロープワーク、天体観測、海洋実習など行う。目的地の北海道では同世代少年らとの交流もする。当時の細郷市長は、横浜の未来を担う青少年活動にとても力を入れていた。

    私も学校に貼ってあったポスターを見て応募。
    中学1年生という多感な時期に、他校と仲間と大海原の中で過ごした日々は、とても強烈な想い出となった。巨大船に乗ること、長い間家族を離れて旅すること、水平線に囲まれること、信じらない程きれいな星空を観ることも。人と大自然とのふれあい。底抜けに楽しそうなリーダー達への憧れ。それはあまりにも濃く、楽しく、充実した日々であり、下船の解散時には別れを惜しんで全員が大泣きした。それからは横浜に住んでいること、横浜が心から好きになった。今振り返ると、人生の大切な選択や岐路で、この洋上セミナーの経験が関わっている。つまり、その後の人生にも多大なる影響を与えてくれた、感謝してもしきれないイベントであった。

    いつか自分に子供ができたら絶対に参加させたいと思っていた。今の思春期の子供たちにとって、机上であれこれ学ぶよりも、本当に必要なのは、こうしたリアル体験なんだと強く思う。
     
    しかし・・・ネットで洋上セミナーを調べても情報がない。

    洋上セミナーで検索してもでてこない。なぜ?
    横浜市議事録を紐解く。議事録には、2001年に開催された第22回目までは実施されていた記載がある。その後の2002年以降洋上セミナーに関する情報が一切でてこない。調べていくうちに、この2002年に洋上セミナーが廃止されたことが判明。好評だったはずの横浜恒例のイベントがどうして廃止になった?

    2002年、横浜市にとって歴史的な出来事があった。
    細郷市長の意志を継ぎ、12年に渡り市長を務めた高秀秀信さんが市長選挙に破れた年。そして新市長として中田宏さんが就任した年だ。この市長選は実にドラマティックだった。現職の高秀さんvs新人、中田宏さんという対決になったのだが、元々、中田宏さんは高秀さんの元にいた学生。当時の中田氏はお金がなく、高秀一家に世話になり、ご飯やお風呂までいただいていたという。
    その恩師、高秀氏を批判し、恩をあだで返す反逆の市長選だった。市民は新しい改革してくれそうな中田氏に投票し当選。中田宏横浜市長が誕生した。その市長選の数か月後、高秀さんが病死した。高秀夫人による「夫は中田市長に殺された」という記事が週刊現代に掲載された。

    就任直後から徹底的な削減政策を行っていたので、洋上セミナーも廃止された模様。
    中田宏新市長が掲げていた無駄な項目の1つとなったのだろう。残念過ぎるあれこれの廃止だが、これは市の財政状況を考えてのやむなき判断だったのかもしれない。当時各区役所にあった市長への直送封書「市長への手紙」までもが廃止された。市民からの声はいらん、ということか。

    ハマっ子の未来への投資、洋上セミナーまで廃止したのに。結局、中田宏さんはY150(横浜開港記念博)の失敗で28億という莫大な赤字を作り、責任説明までも拒否して任期途中でトンズラ辞任してしまった。その28億円の赤字は、最終的に横浜市税で補てんされた。

    これで洋上セミナーがあと何百回開催できた?
    そんなこと考えると悲しいばかり。

    かつての細郷市長、高秀市長は、横浜の未来を担う青少年の活動支援にとても力をいれていた。団結式の朝、細郷市長がスピーチの後、にこにこしながら僕らを見送ってくれた。横浜に住んでいて良かった、横浜が好きだと心から思った。当時よく使われていた横浜の地元愛あふれる「ハマっ子」なんて言葉も削減され、もはや死語になった気がする。
    横浜市少年洋上セミナーは、今はネットにさえも情報がない。あの横浜の大イベントが、まるで”幻”だったかのよう。とうに大人になった我々団員らの心の中にだけ、強く残っている。
    天国の細郷さん、高秀さん、素晴らしい贈り物をありがとう。

    <KAMEブログより転記>



    豆知識


    横浜開港150周年を記念して2009年に「Y150」横浜開国博が開催された。

    横浜の威信をかけたこの一大イベントは中田宏「肝煎り」で情実任用された野田由美子(副市長)らによって推進され、有料入場者数500万人と計画された。しかし杜撰な計画が当初から指摘されており開幕早々不振となる。もはや失敗が明白な情勢となると中田宏は責任追及を恐れて任期半ばに市長職を辞職。そのまま不振が続き、結果として有料入場者は計画の25%にも満たない悲惨な有様となってしまった。この失態と巨額赤字をかかえたまま次々に外郭団体の横浜開港150周年協会の杜撰な仕事が明るみになった。旅行代理店各社らは「イベント内容は当初計画案とかけ離れており、横浜開港150周年協会は契約義務を果たしていない」として提訴。また横浜開港150周年協会は運営を委託した博報堂JVに対して、今更になって概算契約金の減額を求めて調停申し立てするなど、この問題は泥沼の訴訟を6つも抱える事態となった。この事態を収拾できないとみるや野田由美子も早々に辞職。横浜市議会・決算特別委員会は「担当者がいないのでは審査の障害になる」「責任を全うしなかった理由も分からない」として中田宏と野田由美子を参考人招致する事態となったが後の祭りである。このように横浜市は中田宏とその周辺人物の無知・無能・無責任のために多大な損失を被る事となった。

    参考リンク:
    横浜市長辞職の本当の理由は、「開国博Y150」?
    http://www.peeep.us/e3389e2b
    市長も副市長も逃げた・・・横浜開港博(「開国博Y+150」)の失敗・・・
    http://www.peeep.us/7516af11
    横浜市がおかしい
    http://www.peeep.us/b2ff2895

    集客数では、同時期に開催されたお台場の実物大ガンダム一体に負けた。

    【Y150】絶句・・・・こんなものに多額の税金を使ったのか 


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