記事募集中! 2018年12月08日 カテゴリ:当サイトについて いいたい事がある。世に残したい記事がある。でも自分のメディアがない方、活用ください!ネットで公表したいあれこれの記事、そのまま公開します。基本的にそのまま(誤字脱字も含めて)転機されますのでご注意ください。・タイトル・ブログネーム・記事・画像(あれば)こちらまでメールでお送りください。※管理人の判断で掲載しない場合もあります。ご意見、ご要望大歓迎です。のニュースmail:8nonews@gmail.comhttp://nonews.publog.jp/
コンビニのトイレに長居をする問題 2018年11月08日 <うさぎブログさんからの投稿>松本人志さんが問題提起して話題になったコンビニトイレの長居問題。リンク:松本人志がコンビニのトイレ使用者に激怒! あるあるの理由に共感の声「コンビニのトイレは3分くらい経ったら、ドアがバーンと開くようにしたらいいんですよ!」https://www.excite.co.jp/news/article/Sirabee_20161229274/案1:レジで鍵を渡す数十円でもよいので有料化にすれば、浮浪者も入ってこない。レジでカギを渡すことにより、顔をしっかり確認して中に入れる。案2:長居できない空間にする日本のコンビニトイレは清潔で完全個室なのがいけない。落ち着かない空間にすれば、自ずと滞在時間が短くなるはず。具体的には。・ドアの下を30㎝程切ってしまう。→防犯上の理由という建前・ドアを閉じると同時に5分のタイマー作動、アラームが鳴り店員に知らせる→体調の悪いお客様のためという建前例:アメリカの公衆トイレ→外から中にいるのがわかる。例:中国の公衆トイレ→ドアもない。無料で使わせてくれるのだから、このくらいやっていい!汚す人も激減する。
尾畠春夫さんのクルマが最高にかっこいい 2018年08月25日 <吉野家のフルコースさんからの投稿>乗りモノは数あるモノの中でも、最もその人を象徴する。戦国時代の馬。仮面ライダーのバイク。戦隊ヒーローのマシン。身近な友人を思い浮かべても、そいつのクルマが一緒にでてくる。スーパーボランティアの尾畠春夫さんのクルマ。これが最高にカッコいい。2004年式アトレーワゴン CX。「寝泊まりするのは軽ワゴン車の後部座席です。被災地のどんな環境でも寝られるようにするため、普段からゴザの上で寝ています。この車は13年間乗っていますね。走行距離は約20万㎞。故障したことは一度もない。タフな相棒ですよ。」13年20万キロなんて、普通の軽自動車ならとっくにツブれていい距離数。一度も故障したことがない、とはすごい。車種はダイハツのアトレーCXで間違いなし。↓この相棒のコックピットが、たまらなくカッコいい。↓尾畠さんが乗っているから、かっこいいのでしょう。ルパンが乗ってる古いボロボロのフィアット500とかぶります。どんな高級車よりもかっこいい、究極の仕事をするクルマ=相棒。自分の仕事が終わったら、なにも受け取らず、静かに立ち去っていく後ろ姿まで似ていました。なんと気持ちのいい人だろう颯爽と走るバイクもかっこよかった、スーパーカブがこんなに似合う人もそういない。
急行が3駅連続で止まる理由!鷺沼・たまプラーザ・あざみ野 2018年05月10日 <港北ニュータうんこさんからの投稿>東急田園都市線、鷺沼駅、たまプラーザ駅、あざみ野駅並ぶ3駅すべてになぜか急行が停車するのはなぜ??駅に歴史あり。話は昭和50年頃にまでさかのぼります。当時の田園都市線は、二子玉川駅-中央林間駅間のみ。→二子玉川駅-渋谷駅は、新玉川線と呼ばれてました。この沿線は今とは想像もつかない程のド田舎、見渡す限りの田園光景だったのです。そんな中、唯一鷺沼駅だけは駅前に東急デパートがあり、鷺沼プールという人気施設があり、東急の車両庫まであったのです。当初からホームも広くて4線分確保されていました。そんなわけで、最初の鷺沼駅は、当然急行停車駅となりました。問題は、その後です。たまプラーザ駅 vs あざみ野駅の、壮絶な戦いは始まるのです。横浜駅と田園都市線を結ぶ、横浜市営地下鉄の計画が発表されました。もっとも栄えていた鷺沼駅が理想ですが、鷺沼は川崎市。横浜市営地下鉄は入りません。たまプラーザ駅か、あざみ野駅に絞られたのですが、たまプラーザ駅を推進する東急側と、あざみ野駅を推進する横浜市側で、意見が真っ向対立します。たまプラーザ駅は、東急が最も力を入れている駅でした。この変な駅名だって、当時の東急社長、五島昇さんが直々に命名したもの。駅の周りは、地下鉄を迎えるすべての条件が揃いつつありました。当時としてはエリア随一の巨大さを誇った東急百貨店が完成し、当時大ヒットした不倫ドラマ「金曜日の妻たち」の舞台でもあり、高級住宅街の「美しが丘」の玄関口であり、日清どん兵衛のCMで川谷拓三さんが「たまプラザ」とつぶやき知名度が上がり、新しい駅ながらも、洗練された印象と知名度がありました。そしてこの頃には、たまプラーザも急行停車駅となっていました。駅の南側には広大な草原が残っていましたから、駅でもなんでも作り放題だったのです。一方当時のあざみ野駅は。江田・市ヶ尾・藤が丘・田奈と同列の実にしょぼい駅(失礼)でした。駅前には、竹やぶに囲まれた茅葺屋根の家があります。(今でもあります)買い物ができるのは東急ストアだけ。地下鉄駅の建設予定地は住宅が広がっていました。そこに地下鉄を通すなら、立ち退いてもらわないといけません。条件的にはたまプラーザ駅が絶対有利でした。地元住民も「横浜市営地下鉄はたまプラーザ駅にくるな」と信じて疑いませんでした。しかし。最終的に、横浜市営地下鉄の接続駅に決まったのは「あざみ野駅」これに関しては。みなとみらいの乗り入れ権を条件に譲ったとかたまプラーザにすると川崎市をちょこっと通ってしまうからとか横浜市側の利権が絡んでいるとか、いろんな噂がありましたが、結局のところ決定理由がわかりません。東急の強い要望が通らず、たまプラーザ駅接続はなりませんでした。そして数年後、工事も完了して、市営地下鉄あざみ野駅が開通します。当然、地下鉄の接続駅ですから下車する人も大量に増えました。しょぼかった駅は、とたんに多くの人で溢れました。ところが、ここから東急の仕返し(?)が始まります。どんなに多くの乗客が降りようとも、東急は決してあざみ野駅に急行を止めませんでした。お前なんか認めん!といわんばかり。急行は、乗客の多いあざみ野駅を通過しました。急行停車駅の鷺沼駅かたまプラーザ駅で、各駅に乗り換える必要がありました。不便さに苦情もでたでしょうが、東急はガンとして急行を停めず。やっと急行停車駅になったのは、なんと8年間もたってからでした。結果、急行が3駅連続して停車することになってしまったのです。今の巨大なたまプラーザ駅をみると、やはりこっちの方がよかったんでないの?・・・と思わざるを得ません。